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大阪高等裁判所 昭和44年(う)795号 判決 1977年3月18日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は元弁護人岡田善一作成の控訴趣意書記載のとおりである(控訴趣意第一は原判示第五の一の(一)の事実を除くその余の事実についての主張であり、控訴趣意第二は原判示第六の一および第六の三の(二)の各事実を除くその余の事実についての主張であると釈明された)から、これを引用する。

(控訴趣意第一について)

論旨は、原判示第五の一の(一)の事実を除くその余の事実につき、要するに「各贈賄の相手方とされている市立中学校の校長、教頭、教諭がげんに従事しあるいは従事する予定であつたとする職務なるものは、原判示によればいずれも要するに「当該市教育委員会の行なう教科書採択事務を補助すること」であつたというのであるが、このような仕事は校長、教頭、教諭の固有の職務でないのはもちろんのこと、市教委が同人らに命じて右のごとき補助をさせることは違法と考えられることなどからして、それぞれの職務に密接な関係のある行為であるということもできない。したがつて、たとえ同人らが上司である各市教委の指示または求めに応じて原判示のごとく市教委の教科書採択事務を補助したとしても、それはあくまでも事実上のものにとどまり、職務行為としてしたものではないとみるべきである。結局原判決は、校長、教頭、教諭の職務についての法令の解釈、適用を誤り、職務行為でないものを職務行為であるとし、ひいては賄賂でないものを賄賂であるとして贈賄罪の成立を認めたものであつて、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。」というのである。

そこでまず、各市教委における昭和三七年度使用中学校教科用図書(以下教科書という)の採択にあたり、校長、教諭(当時の法制上は教頭も教諭の中に含まれる)等がどのような形で図書の選定に関与していたのかを、原審で取調べずみの関係証拠により各市別に検討することとする。

(一)  高槻市の場合(原判示第五の一の(二)、(三)の各事実関係)

高槻市には昭和二八年に同市教委が制定した高槻市教科用図書選定委員会規程があるが、これによれば、

(1)  同委員会は、市教委の諮問機関として市教委が採択する教科書を選定のうえ教育長を通じて答申することを目的とし、この目的を達するため、教科書の研究、調査その他教科書選定に関する一切の事項を行うものであり、

(2)  委員は、①指導主事、教育研究所長および同主任、文化研究会(教育研究会)会長、高槻市教職員組合文化部長のほか、②小中学校別各教科ごとに(ただし、中学校社会科のごとく地理、歴史、一般社会等使用教科書に種目がある場合には運用上各種目ごとに)教育委員会が適当と認めた教員各一名であつて、このうち②の委員は毎年あらためて詮考のうえ教育委員会が委嘱するが、その委員は、各学校(高槻市内の市立中学校は当時全部で五校)の当該教科代表者の意見を委員会に反映させること

とされている。

そして、昭和三七年度使用中学校教科書についての選定、採択の過程は従前行なわれていたところと変わりはなかつたが、これを具体的に述べると次のとおりである。

(1)  高槻市内市立中学校全教員が参加している教育研究会があり、その研究会は教科別の部会に分かれているところ、昭和三六年五月上旬ごろ開催の研究会総会の席上市教委側から各教科ごとの中学校教員たる選定委員(前記②の委員)の推せん依頼があり、これに応じ同研究会では同日ごろ各部会を開いて各部会ごとに当該教科の選定委員候補者を選び、部会長、研究会長を通じて市教委側に推せんし、市教委は昭和三六年六月一日ごろ教育委員会名の委嘱状を交付して右被推せん者を選定委員に委嘱した。

(2)  選定委員会は右同日に第一回の選定委員会を開き、選定の方針、計画等の打合わせを行ない、以下のとおり学校別教科書研究および教科別教科書研究を経て選定を行なうことなどを決めた。

(3)  その後特別および法定の教科書展示会と併行して、各中学校においては、各教科別に教科担当教員が集まつて学校別教科別教科書研究会を開き、討議を経てその教科につきその学校にとつてもつとも適当と考えられる教科書一種を選び、続いて、選定委員の招集のもとに、各中学校各教科ごとに各一名の代表者が右学校別教科書研究の結果を持寄つて教科別教科書研究会を開き、全市的な観点からどの教科書がよいかを討議し、各学校から出た意見を調整して各教科ごとに一種(社会科では前記各種目および地図につき各一種)の教科書を決めた。

(4)  各教科ごとの中学校教員たる選定委員(前記②の委員)は、当該教科の右教科研究会に出席しており、同研究会の結論にもとづいて担当教科の教科書調査表および選定報告書を作成したうえ、七月一一日開催の第二回選定委員会にこれを持寄り、同委員会では、これら教科別担当教員たる委員の持寄つた結果をとりまとめて同委員会の選定の結論とし、その旨を市教委に答申した。

(5)  一方各中学校においては、右答申にかかる教科書(全市五校共通)の使用申請書を市教委に提出し、七月一四日、市教委はこの許可申請を承認する形で中学校における使用教科書の採択を決定した。

なお、久保義明(原判示第五の一の(二)の贈賄の相手方)は市立第三中学校の社会科担当の教諭(教頭)であり、追田隆(同第五の一の(二)、(三)の各贈賄の相手方)は市立第五中学校の社会科担当の教諭(教頭)であり、いずれも、五月上旬ごろに開かれた高槻市教育研究会社会科部会において、久保は歴史担当の、追田は一般社会担当の教科書選定委員候補者に選ばれてその旨の推せんを受けており、六月一日ごろ市教委からいずれもそのとおり教科書選定委員に委嘱されたものである。

(二)  大東市の場合(原判示第五の一の(四)の事実関係)

大東市には同市教委が制定した大東市教科用図書選定委員会規則があるが、これによれば、

(1)  同委員会は、市教委の諮問機関として市教委が採択する教科書を選定のうえ教育長を通じて答申することを目的とし、この目的を達するため、教科書の研究、調査、その他教科書採択に関する一切の事項を行うものであり、

(2)  市教委が委嘱する委員および特別委員で構成されるが、特別委員には、市教委所管の学校長、事務局職員若干名、市教委が必要と認めた団体から選出した者および有識者若干名が委嘱され、委員には、各教科ごとに各学校(市立中学校は当時全部で三校)から選出された代表一名が委嘱され、小学校部、中学校部の二部に分けてさらに教科ごとの班に分けられるところ、右委員は関係学校の部班に所属し、

(3)  役員として委員長、副委員長各一名、部長各一名、班長若干名および委員会の事務をつかさどるとされる理事若干名が置かれるが、これら役員は市教委が委嘱し、

(4)  会議として、委員長が招集する総会、部長が招集する部会および班委員会のほか、委員長が招集する役員会が開かれ、この委員会から提出する教科書選定に関する答申書は、特別委員を含んだ役員会の決議にもとづいて作成する

とされている。

そして、例年委員には各学校の各教科主任が委嘱されるならわしであつて、昭和三七年度使用教科書についてもその例外ではなく、市立四条中学校保健体育教科の代表としては、原判示の供与申込の相手方である同教科主任の丸山大作教諭が、昭和三六年六月三〇日、市教委から委嘱状の交付を受けて委員に委嘱され、まず自校内で(同校では保健体育専任の教員は同教諭一人しかいなかつた)同教科の教科書を研究したうえ中学校部保健体育班委員会に臨み、同班委員会における教科書選定の仕事に従事した。

ただ、同班委員会においては検討の結果保健体育教科の教科書を二種にしぼつただけで一種にしぼるには至つておらず、一方守口、寝屋川、枚方、大東の各市と北河内郡門真、四条畷、交野の各町(市町立中学校合計約二十校)は北河内ブロツクとして共通採択を行なう方針がとられており、そのため右班委員会における検討結果を同ブロツクの協議会に持込んで一種にしぼることになつており、同班委員会としてはその点は班の委員の一人である南郷中学校の細木教諭にまかせたということであるから、右細木教諭が同班の班長であつて、同教諭が右班委員会の検討結果を同ブロツク各市町の同教科の班長級の委員が集まる協議会に持込み、そこで検討して一種にしぼり、その結果が再び大東市教科書選定委員会の役員会に上程され、この役員会での決議を経て同選定委員会の市教委に対する答申になつたものと考えられる。

(三)  柏原市、松原市、枚岡市および河内市の場合(原判示第五の二の(一)ないし(六)の各事実関係)

柏原、松原、枚岡および河内の各市においては、教科書選定の方法に関し各市教委が制定した規則の類はないが、各市教委の方針のもとに毎年同じやり方が踏襲されていた。すなわち、各市においては小学校、中学校合同の教科書選定委員会または校種別(中学校、小学校別)の教科書選定委員会が設けられ、その委員には該当する各市立学校(中学校は、柏原、枚岡、河内の各市は各三校、松原市は五校)の全校長が市教委側から委嘱されるが、そのさいの市教委側の指示に従い、各校長(選定委員)はそれぞれの自校において、全教員に命じて各教科主任を中心にした調査、研究、協議を行なわせ、あるいは各教科主任に調査、研究を命じるなどして各教科ごとに一種の教科書を選定報告させ、一方右四市(中河内四市)は四市共通採択の方針をとつているところから、各市の選定委員(校長)は、右各自校における選定報告の結果を持ち寄つて四市合同の校種別選定委員会(中学校の場合であれば四市計一四校の校長で構成される)に鑑み、同合同委員会においてさらに討議したうえ(通例は多数決で)各教科別に四市共通の教科書一種を決め、その結果を各市の選定委員会から当該市教委に答申し、市教委はこの答申による教科書を採択するのである。

昭和三七年度使用中学校教科書についても以上の例年の取扱いと変わるところはなく、原判示第五の二の(一)ないし(六)の各贈賄(供与またはその申込)の相手方である各校長は昭和三六年六月中に(なお、原判示第五の二の(五)の事実に犯行の日が昭和三六年「六月上旬」ごろとあるのは「七月上旬」ごろの誤記であると認められる)それぞれの市教委側から教科書選定委員の委嘱を受け、以上のごとくして教科書選定の仕事に携わつた。

(四)  奈良県大和高田市の場合(原判示第六の一の事実関係)

大和高田市では、教科書選定の方法に関し市教委が制定した規則の類はないが、市教委の方針のもとにその諮問機関として教科書採択委員会が設けられ、毎年同じ方法が踏襲されていた。すなわち、その委員長一名および副委員長三名程度は市立小学校(七校)、中学校(二校)、高等学校(一校)の校長の中から市教委が委嘱し、他に校種別委員として、小学校の場合には小学校全教員の中から各教科ごとに三名、中学校の場合には各校長の推せん(例年教科主任が推せんされる)により各校各教科ごとに教員一名、高等学校の場合には各教科ごとに一名の教員を市教委が委嘱し、以下中学校の使用教科書の選定手続に限定して述べると、まず各学校で各教科担当の教員各自がその教科の教科書を研究して各自の希望教科書を市教委側から配付された小票(個票)に記入し、採択委員は自校担当教科の右小票(個票)をとりまとめ、これに立脚して自校担当教科の教科書の第一希望、第二希望を決め、その長所、短所を摘出して校種別教科別採択委員会に持込み、ここで両校の意見を調整して第一希望、第二希望を各一種にまとめ、その理由書を作成し、最後に開かれる、全採択委員および各学校長出席の採択委員会で右教科別委員会における結果および選定理由が開陳され、その上で全員一致のもとに各教科ごとに第一希望、第二希望二種の選定を決定し、選定理由書を添えて採択委員長から市教委にこれを答申し、市教委においてはその答申された中から各教科一種の教科書を市内各校共通に採択するのである。

昭和三七年度使用中学校教科書についても以上の例外ではなく、原判示第六の一の贈賄の相手方である中西美博は市立高田中学校の理科担当の教諭であつて教科主任であり、昭和三六年六月中旬ごろ、採択委員を委嘱する旨校長を通じて教委側から通知され(教育委員会としては同月二八日ごろこの委嘱を追認した)、この委嘱を受けて採択委員としての仕事に従事した。

(五)  堺市の場合(原判示第六の二の(一)、(二)の事実関係)

堺市には市教委が制定した堺市教科用図書選定委員会規程があり、これによれば、

(1)  同委員会は、市教委の諮問機関として市教委が採択する教科書を選定のうえ教育長を通じて答申することを目的とし、この目的を達するため、教科書の研究調査その他教科書採択に関する一切の事項を行うものであり、

(2)  委員(任期二年)および特別委員で構成されるが、委員には、全小学校から校長代表一名および教科ごとに教員代表二名、全中学校(当時市立中学校は一七校)から校長代表一名および教科ごとに教員代表一名、高等学校から校長代表一名および教科ごとに教員代表一名、他に事務局から若干名が委嘱され、特別委員には、市教委において必要と認めた団体から選出した者および個人若干名が委嘱され、

(3)  委員会は小学校部、中学校部、高等学校部の三部に分けられ、事務局からの委員および特別委員を除くその余の委員は関係学校の部に所属する

とされており、中学校の教科ごとの教員代表たる委員は、市立中学校全教員が参加する堺市中学校教育研究会の各教科部会の推挙により委嘱されるならわしであつた。

一方、昭和三七年度使用中学校教科書は学習指導要領の変更にともない全面的に改版されるところから、市教委教育長は、その判断にもとづきその選定に資するべく臨時に、市立中学校全一七校教員中各教科ごとに六名の者を教科書研究員に委嘱した。この研究員は、委嘱にあたり教育長が明らかにしたところによれば、教科書採択の観点を明確にし、各教科書を各角度から比較検討し、研究調査のデーターを選定委員に提供することがその仕事であるとされており、選定委員の場合と同様、前記研究会の各教科部会の推せんにより各教科ごとに六名ずつが委嘱され、昭和三六年五月三〇日教育長名の委嘱状が各本人に交付された。

原判示第六の二の(一)、(二)の各贈賄の相手方である梅香路明は市立陵南中学校の教諭で国語教科の教科主任であつて、右研究会国語部会の推せんで他の五名の者とともに同教科担当の研究員の委嘱を受け研究員としての仕事に従事したものであるが、この国語教科の場合でいうと、研究員の委嘱があつた以降研究員六名は国語教科の中学校教員代表たる選定委員(一名)等とともに数回の会合を重ねて研究討議し、数ある国語教科書の中から取捨選択をくり返して最終的に三種を選び出し、一方各中学校においては学校別検討会の名のもとに各教科ごとに担当教員が集まつて研究討議し、その上で市立中学校国語担当全教員が昭和三六年七月五日ごろ一堂に会して全市中学校検討会が開かれ、研究員らは、その席上原案として前記三種の教科書を上程し、資料にもとづきこれを選んだ理由を説明するとともに質疑に答えるなどし、この全市検討会で原案たる三種のうち一種が投票により選定すべき教科書として決定された。中学校国語教科の教員代表たる選定委員は右決定結果をその後の選定委員会に上程し、選定委員会はその教科書を選定委員会の選定結果として市教委に答申するに至つた。中学校国語教科の選定経過は以上のとおりであるが、中学校のその余の教科についても市教委側の方針のもとにこれとほぼ同じ経過がとられている。

(六)  布施市の場合(原判示第六の三の(一)、(二)の事実関係)

布施市においては教科書選定の方法につき市教委が制定した規則の類はないが、市教委は毎年翌年度の使用教科書採択指導方針なるものを決議で定め、これに従い例年ほぼ同様の取扱いがなされていた。昭和三七年度使用教科書についての採択指導方針は昭和三六年六月二七日の教育委員会で決議されたが、前年度のものと比較するとき、後記校種別、教科別共同調査委員会の委員長を委員から互選することとされ、校長一名および指導主事が助言者として同委員会に出席するとされた点が前年度のものと変わつただけである。

右決議による昭和三七年度使用教科書採択指導方針によれば(1)学校別調査会、(2)校種別(小学校、中学校別)、教科別共同調査委員会および(3)合同調整委員会を設ける(ただし市立小学校は一七校、同中学校は一〇校あつたが、市立高等学校は一校だけであつたから、高校については(1)の調査会のみであり、(2)、(3)の各委員会はなかつた)ことなどが決められており、その詳細および運営の実情は以下のとおりであつた。

(1)  学校調査会

各学校ごとに校長主催のもとに全教員が参加して教科書の調査研究をし、その学校にとつてもつとも適していると考えられる教科書を各教科一種ずつ選ぶ。その運営は校長の責任で行なわれるところから、その方式は学校によつて異り得るが、各教科ごとに担当教員が集まつて研究、協議し、一種の教科書を選ぶのがふつうのやり方である。その結果を職員会議に上程し、職員会議の決定で決めたとされる場合もある。

(2)  校種別、教科別共同調査委員会

各学校各教科ごとに一名の教員代表が委員になり、学校別調査会における当該教科についての結果を持ち寄り、さらに意見を交換して布施市全校(中学校なら一〇校)に共通の教科書一種(やむを得ないときは二種でもよい)を選ぶ。右委員は校長の推せんにより市教委が委嘱するが、各教科ごとに担当教員が協議したうえ教科主任を推せんする運びとなるのがふつうである。委員会の委員長は委員の互選で選ばれ、また、委員会には当該教科の研究会長たる校長一名および指導主事が助言者として出席する。

(3)  合同調整委員会

小学校、中学校合同で開かれる。各共同調査委員会の代表者各二名(小学校は八教科で一六名、中学校は一一教科で二二名)および小、中学校の校長全員(二七名)が委員になり、共同調査委員会の各代表者から同委員会における前記結論と理由の報告、説明を受け、これを承認し、あるいは必要に応じて調整する。各共同調査委員会の代表者たる委員は委員長外一名とし、各共同調査委員会の報告にもとづき市教委が委嘱する。

(4)  小学校、中学校の各校長は、右合同調整委員会で承認または調整された結論を自校に持ち帰り、各校長の責任で自校における教科書の使用許可申請を出し、市教委はこの申請を許可する形で各校における教科書の採択を決定する。昭和三七年度使用中学校教科書については、全校一致した申請が大部分であつたが、教科によつては七対三となるものおよび九対一となるものがあり、全校一致したものおよび七対三となつたものは申請どおり採択されたが、九対一となつたものは、市教委の決議にもとづく教育長の勧告措置により一校が他の九校に合流して全校一致の教科書が採択された。

以上のとおりであり、原判示第六の三の(一)の贈賄の相手方である上田正幸は市立第七中学校の教諭で理科の教科主任であつたが、昭和三六年六月中ごろ、例年どおり市教委側から共同調査委員の推せん依頼を受けた校長から各教科ごとに担当教員が相談して同委員を決めるように指示され、理科担当の教員間で話し合つた結果従前の慣例どおり教科主任である同人が委員になることが決まり、そのころその旨を校長に報告し、同月三〇日市教委から教科別(理科)共同調査委員会の委員の委嘱を受け、さらに同委員会の代表に選ばれて市教委から合同調整委員会の委員にも委嘱され、自校内において理科担当教員同志の間で調査、研究、協議し、理科教科書についての自校の統一意見を形成したのはもちろんのこと、その意見を持ち寄り、右各委員としても教科書選定の仕事に従事した。原判示第六の三の(二)の贈賄の相手方である伊藤要市は市立第十中学校の教諭で理科を担当しており、前年までは同教科の主任であつたものの昭和三六年には中山教諭に主任を譲り、また同校においても毎年教科主任が教科別共同調査委員会の委員に推せんされるところから、昭和三七年度使用中学校教科書については同委員に委嘱される予定はなかつたが、例年のこととして右年度使用教科書についても市教委の方針により学校別調査会の行なわれることは当然に予想されており、げんにそのとおり行なわれることが決まり、その後昭和三六年六月三〇日ごろ前記中山教諭が教科別共同調査委員会の第一回会議に委員として出席した直後、同校理科担当教員の全員が同教諭から「各校で教科書一種を決定し、その結果を次回開催の委員会の席上で報告するから各先生方で検討しておいてくれ」と伝えられ、各自調査研究のうえ、同年七月一一日ごろ、その日に右委員会の第二回の会議があるという日に、同校理科担当教員全員が集まり、それぞれ自由に意見を述べあつて協議し(同校の理科教科についてはこれが学校別調査会にあたる)、全員一致の意見で同校に適当と考えられる理科の教科書一種を決め、教科代表委員たる中山教諭をしてその結果を右委員会に持寄らしめ(なお、最後に同校が使用教科書申請を出しこれを許可することによつて市教委が採択した同校の理科教科書のうち、二、三学年用のものは右学校別調査会で決めたものと異なることになつたが、一学年用のものは一致している)、もつて、理科担当教員の一員である前記伊藤教諭も、この限りにおいて、自校を含めた布施市立中学校で採択されるべき理科教科書の選定手続に参加し、その仕事に従事した。

各市別に検討した結果は以上のとおりであつて、これを通覧するに、市教委で採択すべき教科書を選定する手続、方法につき市教委が制定した規則類のあるところ(高槻市、大東市、堺市。ただし、堺市の研究員は規則外のもの)とないところ(柏原、松原、枚岡および河内の中河内四市、大和高田市、布施市)とがあるが、規則類のないところでも市教委が毎年右手続、方法を決定するなど、市教委の方針にもとづき例年ほぼ同じ手続、方法がとられて来ており(ただし、堺市の研究員は例外)、いずれの場合においても、各学校内で教科別に教科担当教員が調査研究、協議し、あるいは全市的に教科担当の全教員が集まつて検討、決議する(堺市の全市教科別検討会)など、学校教員が教員一般としての立場から選定手続に参加する以外に、その名称は選定委員会(高槻市、大東市、中河内四市、堺市。堺市には他に研究員がおかれた)、採択委員会(大和高田市)、教科別共同調査委員会および合同調整委員会(布施市)等まちまちであるが、選ばれた特定の教員または校長が校際的に役割を果す場面が設けられており、これら委員会の構成員(堺市の研究員をも含めて考える)は学校の校長、教員のみのところ(中河内四市は校長のみ、大和高田市および布施市は校長と教員)もあれば、学校関係者以外の者が参加するところ(高槻市、大東市、堺市)もあるが、校長のみで構成される中河内四市以外ではいずれも学校教員たる委員が主要な実質的役割を果すことになつており、右中河内四市では、校長たる委員はそれぞれ自校の教員が教科別に形成した意見を代表するとともに、教科書の選定を事実上決めるのはこれら校長たる委員で構成される四市合同選定委員会であり、大東市、大和高田市および布施市では、学校教員たる委員は所属学校の教科代表たる性格を持ち、それぞれの学校の教員が教科別に形成した意見を代表するとともに、教科書の選定を事実上ほぼ決めるのはこれら教科代表たる委員で構成される班委員会代表者ブロツク協議会(大東市)、教科別採択委員会(大和高田市)、教科別共同調査委員会(布施市)(最終的、形式的には、大東市では特別委員を含む役員会、大和高田市では委員および各学校長が出席する採択委員会、布施市では合同調整委員会ないし同委員会での結論をふまえた各学校長)であり、高槻市および堺市では教員たる委員(堺市の研究員を含む)には所属学校の教科代表たる性格はなくむしろ市内中学校全教員の教科別代表たる性格を持つものであるが、これら両市のうち堺市では教科書の選定を事実上ほぼ決めるのは市内中学校全教員が教科別に集まつて開かれる全市教科別検討会(最終的、形式的には選定委員会)であつて、研究員は当該教科の教員たる選定委員とともに予めの調査研究、検討の結果にもとづき右全市検討会に原案を提出し、資料にもとづき説明、応答するなど右教科別全教員の幹事として主導的役割を果すのがその役目であり、高槻市では教科書の選定を事実上ほぼ決めるのは各中学校各教科ごとに各一名の代表者が各学校各教科担当教員による討議結果を持寄つて開かれる教科別研究会(最終的、形式的には選定委員会)であつて、教員たる選定委員は右教科別研究会に出席し同研究会における結論を選定委員会に持込み反映させる伝達的役割を果していたものである。

このような各市におけるいろいろなやり方は、いずれも、市教委において採択すべき教科書の選定につき、それぞれの中学校で生徒の教育をつかさどる各教員の調査、研究、協議にもとづく意見を十分に反映させ、選定手続のルートの中になんらかの形でこれを取り入れて行くということを根本の要請とし、かつ、市内全校もしくは地域的に関連の深い数市内全校について全面的あるいは可及的に同一の教科書を採択しようとする共通採択の方針のため校際的な委員会(協議会)、研究会(検討会)等を開いて各学校ごとあるいは各教員ごとの意見を調整し統一する必要が生じ、この面でも、教員の代表者を選びその者あるいは学校教員を代表するものとしての校長に主要な役割を果させようとする観点から行なわれていることが明らかである。

本件当時においては義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律は制定施行されていなかつたが、同法施行前の本件当時においても、所論のとおり市立中学校における使用教科書の採択権限そのものは当該市の教育委員会にあつたと解するのが相当である。しかしながら、市教委において採択すべき教科書の選定につき、市教委が自らの方針により、各学校で生徒の教育をつかさどる各教員の調査研究、協議にもとづく意見を聴き、なんらかの形でこれを取入れて行くということは、各市教委における教育行政のひとつのあり方としてもとより許されるところであり、その場合どのような手続、方法をとるかは各市教委においてこれを自由に決めることができるところである。一方、市立中学校の教員である教諭は、その学校において生徒の教育をつかさどることをその本来の職務とする地方公務員である(学校教育法四〇条、二八条、教育公務員特例法三条)ところ、中学校における生徒の教育にあたつては文部大臣の検定を経た教科書または文部大臣が著作権を有する教科書を使用しなければならないが(学校教育法四〇条、現行著作権法附則二一条による改正前の学校教育法二一条一項)、右教科書とは、教科課程の構成に応じて組織排列された教科の主たる教材として教授の用に供せられる生徒用図書であつて、ある中学校のある教科につきいかなる教科書が選定され採択されるかということは、その学校の教諭がその教科を担当して生徒の教育に従事する上においてはなはだ重要なことである。したがつて、教科書の採択権を有する市教委が採択すべき中学校教科書の選定につき各教員の調査研究、協議にもとづく意見を聴き、なんらかの形でこれを取入れて行くとの方針のもとにその手続、方法を定めた場合において、所管の中学校の教諭が右に定められたルートにのつとり、教科書を調査研究して協議し順次まとまつた意見を形成しこれをルート上より上部に反映させ、もつて教科書選定の手続に参加しその一翼一端をにない、選定に寄与することは、中学校教諭としての本来の職務に密接な関係のある準職務行為であるというべきである。このことは各教諭が所属学校の内部において行動し、所属学校としての意見の形成に参加する場合にも妥当するし、所属学校の教員の代表者として所属学校としての意見を持ち寄つたうえ校際的に行動する場合にも妥当し、また、市教委の定めた手続、方法が所属学校ごとに意見を形成するのではなく市内全校の教員が会して市内全校の教員としての意見を形成するものである場合には、所属学校を離れた立場で市内全校の教員の代表者(幹事)として行動する場合にも妥当すると解するのが相当である。また、市立中学校の校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督することをその本来の職務とする地方公務員である(学校教育法四〇条、二八条、教育公務員特例法三条)が、市教委の定めた手続、方法にしたがい、所属校の教員によつて形成された教科書選定に関する意見をとりまとめ、これを校外に持ち寄り、他校の校長との間で自校教員を代表するものとしての立場でさらに協議し、その結果を市教委に報告し、もつて自校の教員の調査研究、協議にもとづく意見が市教委で採択する教科書の選定に反映することに寄与することは、市立中学校校長としての右本来の職務に属し、あるいは少なくともこれと密接な関係がある準職務行為に属するとみるのが相当である。

このように解釈するとき、前に検討した事実関係のもとで、高槻市立中学校の教諭が市教委からの委嘱を受けて教科書選定委員としての仕事に従事し、大東市立中学校の教論が市教委からの委嘱を受けて教科書選定委員としての仕事に従事し、柏原市、松原市、枚岡市および河内市の各市立中学校の校長が各市教委からの委嘱を受けて教科書選定委員としての仕事に従事し、大和高田市立中学校の教諭が市教委からの委嘱を受けて教科書採択委員としての仕事に従事し、堺市立中学校の教論が教育長からの委嘱を受けて教科書研究員としての仕事に従事し、布施市立中学校の教諭が自校内で教科書を調査研究し、教科担当の他の教員とともに意見を述べ合つて協議し、担当教科の教科書の選定につき自校としての意見の形成に参加し、あるいは市教委からの委嘱を受けて校種別、教科別共同調査委員会および合同調整委員会の各委員としての仕事に従事することは、いずれも市立中学校教諭あるいは校長としての本来の職務行為ないしはこれと密接な関係のある準職務行為であるといわなければならない。

原判決は、各贈賄の相手方である市立中学校教諭および校長が各市教委で採択すべき教科書の選定に関与したことをもつて、つまるところそれは市教委の行なう採択事務を補助する性質の行為であるとしており、所論は、この点をとらえ、市教委といえども所管の市立中学校の教諭および校長をして自らなすべき事務を適法に補助させ得る根拠はなく、したがつて教諭または校長が市教委の職務命令によりあるいはその指示または求めに応じて補助したとしてもそれは事実上のものであり、教諭または校長の職務行為としてしたものではないと述べるのである。もし市教委が、採択すべき教科書の選定を、所管の各学校において教育をつかさどる各教員の意見を反映させ取り入れることなしに一方的に行なうとの方針をとり、ただ自ら行なう選定に資するため限られた特定少数の教諭または校長に教科書の調査研究を行なわしめ、一般教員の意見を基礎に置かないその者独自の意見を具申することを求めたとしたら、これに応じてなされるその者の活動は純粋に市教委の事務を補助する性質のものであり(たとえその者が校長であつたとしても校務性はない)、その者が市立学校の教諭または校長であるということも、たまたまその活動にふさわしい知識、経験、見識を持ち合わせていることを表象するその者個人の職業上の属性に過ぎないとみることもできなくはないから、他の面から公務と言い得る場合のあることはともかく、右活動をもつて市立学校の教諭また校長としての本来の職務行為でありあるいはこれと密接な関係のある準職務行為であるとすることには疑問の余地がある。しかしながら、本件において各贈賄の相手方たる市立中学校の教諭および校長が教科書の選定に関与した実体は叙上のとおりであつて、その実体に即してみる限り、それは市教委の教科書採択事務を補助する性質のものとみるよりは、すでに述べたとおり、これら教諭等の立場から観察して、それは教諭および校長の本来の職務行為あるいはこれと密接な関係にある準職務行為であるとみるのが相当である。そうであるとすると、本件において市立中学校の教諭および校長が教科書の選定に関与した行為を、どのような観点から同人らの職務に関したものとみるかについては、原判決は当裁判所とその見地を異にするものであるが、結局において同人らの職務に関したものとする点において誤りはないので 原判決には所論のごとき法令の解釈、適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

(控訴趣意第二について)<省略>

よつて、刑訴法三九六条により控訴棄却の判決をする。

(戸田勝 梨岡輝彦 岡本健)

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